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シコ・サイエンス十周忌

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 1997年の2月2日にシコ・サイエンスは、交通事故で命を落とした。だから、今年の命日は十周忌にあたる。幣誌「月刊ラティーナ」では、1997年4月号でシコ・サイエンスの夭折を伝えている。5ページに渡り、現地からの追悼記事(ルイス・クラウヂオ・ガヒート/文、国安真奈/翻訳)、宮沢和史氏によるコメント、北東部ロック・シーンの主要バンドたちの紹介、シコ・サイエンスのラスト・インタビューを取り上げ、1997年2月2日の悲劇と、その周辺を取り上げている。当時の編集部による冠文は以下のようなものだ。
「突出ひた才能を瞬時に煌めかせながら、たった2枚のアルバムを遺し、2月2日夜、シコ・サイエンスは交通事故で命を落とした。ヨーロッパ公演のオファーを受けていたが、故郷のカルナヴァルを優先して、彼はレシーフェにいた。彼がシーンに宣言した北東部ロックのムーヴメント=“マンギ・ビート”とはいかなるものだったのだろうか……!?
 そもそも、本稿は彼の追悼に合わせた特集ではない。彼を頭上の星と頂く北東部ロック・ムーヴメント(音楽ムーヴメントと呼ばれるものは、ブラジルでは70年代初頭の“トロピカリズモ”以来初めてだった)と、その未来を予見するのが本稿の主旨である。だが、スターたる彼はまさしく“天空の星”となった。遺された者たちは、これから何を創造していくことになるのだろうか。」

 マンギ・ビートの誕生から、世界中からシーンと認識されてるまでの歴史がしっかり描かれたルイス・クラウヂオ・ガヒート氏による追悼記事のなかに、興味深い記述がある。「初期のインタビューで、サイエンスは、この新たなスタイルを“マンギ・ビットMangue Bit”と呼んでいた。レシーフェのマングローブ林の豊かさに新世代の技術をひっかけた名だ。マスコミでは、これが“マンギ・ビートMangue Beat”と呼ばれるようになった。」コンピュータの技師を仕事にしていた当時のシコ・サイエンスならではの“マンギ・ビットMangue Bit”という呼称が、マスコミの言葉遊びか誤解によって、一大ムーヴメントの呼称となっていったとは。
このことを念頭に、追悼記事はシコの死が同ムーヴメントを終わらせないことを予見し、記事を閉じている。「マンギ・ビートあるいはロック・ノルデスチーノは、リーダー、シコ・サイエンスを失っても終わりもしない。逆に、改めて力を得ている。『シコには後継者も代わりもいない』とフレッヂ04は言うが、同時にシコは、消すことのできない種を蒔いてくれたのであり、その種がすでに無気力だった都市の音楽シーンを変え、90年代のブラジル音楽の躍進に貢献しているのだ。サイエンスは死んではいない。彼はアイディアと音楽の中に生きている。マンギ・ビートに、ムンド・リヴリの[マンギ・ビット]が、こう歌ったムーヴメントに栄えあれ。[俺はトランスミッターか? レシーフェは回路か? この国はチップか? 大地がラジオなら 音楽はなんだ? マンギ・ビットだ マンギ・ビットだ]」


シコ・サイエンスが遺した2つの作品のレビューがとても象徴的なものだったので転載します。

月刊ラティーナ94年10月号掲載
シコ・サイエンス&ナサゥン・ズンビ『ダ・ラマ・アオ・カオス』(Chico Science & Nacao Zumbi/Da Lama Ao Caos)
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●リズムの宝庫、ブラジルはノルデスチ(北東)地方、ペルナンブーコ州レシーフェから、今、最も熱いリズム、マンギ・ビートが届いた。シコ・サイエンスは、そのマンギ・ビートの提唱者&旗手。マンギとは、マングローブが繁茂する海水と真水の入り混じった河口付近の浅瀬のこと。豊かなエコ・システムを形成するマンギに棲息」する「頭脳あるカニ」を自称するシコ・サイエンス&ナサゥン・ズンビは、このマンギを破壊し、済し崩し的に発展した都市レシーフェの音楽として、例えばサルヴァドールのサンバヘギなどとは音楽も歌詞も明らかに一線を画す。ラップ調のアクの強い歌と歌詞を支えているのは、パンク・ロックもまっつあおのヘビーなロック・ギターとパーカッションが作り出す呪詛的な反復だ。フォホーやバイアゥン、ブンバ・メウ・ボイといった土着のリズムが完全に消化した独特なリズム、「ノルデスチはロックなり」なる身勝手な私の執着をタイムリーに表現していれた。こいつは買いだぜ!(Texto Por 国安真奈))

月刊ラティーナ97年05月号掲載
シコ・サイエンス&ナサゥン・ズンビ『アフロシベルデリーア』(Chico Science & Nacao Zumbi/Afrociberdelia)
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●シコ・サインエンスとナサゥン・ズンビの音を初めて聴いた時は、ああとうとうブラジルからもストリートの音楽が出てきたのだなあ、と感じ入ってしまったけ。それまでのMPBの美しさは、もちろんそれはそれでいいのだが、どうもリオやサンパウロなどの都市の破滅的んでギラギラした日常かたはかけ離れているような気がしていた。そんな時に登場した彼らの音は、凶暴でドラッギーで、メタルからアフロまでありとあらゆる要素がぐちゃぐちゃに詰め込まれた、まさにブラジルの都市のイメージそのものだった。昨年リリースされたこのセカンド・アルバムもHIP HOP色が強まったとはいえ、そのいかがわしさと破壊力はやはり群を抜いている。そして、シコ・サイエンスは死んだ。おそらくドラッグをバンバンにきめて(?)。ぶっ飛んで、とんでものないスピードでクラッシュする。まさに彼のスタイルそのままの、実にシンボリックな死に様だ。(Texto Por 小樋山 仁)

 94年10月号の国安真奈氏の1stアルバムのレビューは、おそらく最初期にシコ・サイエンスを日本に紹介した記事だろう。それから、97年05月号で小樋山 仁氏によって、死亡を汲み2ndアルバムが紹介されるまで、わずか2年と半年。才能が一瞬で星になったことに、当時の世界のブラジル音楽ファンはどれだけ驚いたことだろう。
 十周忌に、一人のアーティストの短い音楽活動が遺した大きな足跡を今更ながら感じた。

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テーマ:ロック - ジャンル:音楽

  1. 2007/02/02(金) 20:42:26|
  2. マンギ・ビート
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