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Pesro Saペドロ・サーへのインタビュー~カエターノとの密月~後

 カエターノ・ヴェローゾの新作『Zii & Zie』の国内盤は4月8日発売予定。ブラジルでの発売日の詳細は明らかになっていませんが、カエターノのブログ「Obra em Progresso」内の「完成メーター」(?)が未だ80%なので、ジャケット周りを製作中なのかと思っていたりします。
 『Ce』を聴きながら、或は、『Zii & Zie』が発売されたら、「そういえばペドロ・サーのインタビューが載っていたな」と思い出して読んでいただければと思います。

●カエターノが新作収録予定の1曲「LAPA」のライヴでの演奏をオフィシャルにUPしています。


カエターノのブログからの転載ですが、『Zii & Zie』の録音メンバー。
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録音メンバー:写真左からダニエル・カルヴァーリョ(エンジニア)、ヒカルド・ヂアス・ゴメス(B、Key)、カエターノ・ヴェローゾ、モレーノ・ヴェローゾ(前作に続きプロデューサーだと思われる)、マルセロ・カラード(Dr)、ペドロ・サー(G)


以下は、昨日の続き「ペドロ・サーへのインタビュー~カエターノとの密月~後」

(Bruno Maiaが行ったもの)

BM:カエターノが「最もロックしていた時期」は、誰の目にも明らかで、カエターノ自身も言っているように、ずっと前の時期で、あなたもそうだし、他の2人のバンドのメンバーも生まれていない時期です。60年代70年代は、多くのアーティストに一種のノスタルジーを引き起こしている年代で、一般の人の中にもあの時期が一番よかったなんて言う人もいます。カエターノは、この時代を、この力強い魅力を代表するアーティストで、現在も、傑出していて、キャリアの重要性に相応しい活動を行っている。私が想像するに、20世紀カルチャーを代表するアイコンの作品に参加しているという意識が、あなたがたミュージシャンにはある。この考えには賛成できる? 共同で生み出した、すごく特別な瞬間はあった?

ペドロ・サー:ええとさ、さっき言ったように、カエターノはカエターノなんだよ。でも彼自身、彼の今までとどこで決着をつけて、僕らの活動をはじめるかに、すごく自覚的だ。とてもシンプルで自然な方法でもってしてね。全部シンプルで自然に進んでいったよ。

BM:インタビューで、カエターノは、Arctic MonkeysやGrandaddyといったバンドに言及していて、あなたともこういうバンドについて話していたとも言っています。「ニュー・ロック」と呼ばれるこれらの音楽のどういうところが特に面白いですか?

ペドロ・サー:僕は、音がすごくいいと思う。特に、Arctic MonkeysがMulheres Que Dizem Simに似ていると思った。残念ながらGrandaddyはスタイルだけだと思うけど、The Strokesもすごくいいと思う。Devendraは素晴らしいし、Wilcoも素晴らしくて、Los Hermanosもすごい。音は美学だよね。「よく録れている」ということじゃなくて、詩的で音楽的な感覚を感じる。そこが、僕はいいと思って、これらのバンドが好きなんだよ。

BM:YouTubeやMySpace、Orkut、ホーム・レコーディング用ソフト、携帯プレーヤー等の、音楽シーンを動かしているこれらの新しいコミュニケーション手段や道具は、カエターノの新作に何らかの影響を与えた? 僕らが言及したような新しい世代のインディーロックは全てこういったものの影響を受けていて、2006年にインディーロックを語るならこの点を避けては通れないと思うんだ。

ペドロ・サー:申し訳ないけど、アルバムを作っているときに、そのことについては何も考えなかったよ。

BM:現在のカエターノのバンドのメンバーは全員、自分の別のプロジェクトとか、別のバンドでも活動している。今回のような強力な作品に参加するのはどう? 他の活動は中止しないといけない?

ペドロ・サー:誰も何も止めていないよ。(Mariano)Marovattoが言っているように、全ては一点に向かっているんだ。確かに、ライヴをするのには他のライヴを諦めないといけないこともある。でも、カエターノは、一年に数えられないほどライヴをするわけじゃないよ。仕事はとても人間的に進んで、全ては自然と調整されていくんだ。

BM:最後に、34歳で、いつも音楽的に尊敬していて、同時に個人的な付き合いもあった人物と、こんなに巨大な仕事を実現しているることはどういうことですか?

ペドロ・サー:素晴らしく名誉なことだ。

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音楽プロデューサーでギタリストのペドロ・サー

Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー~幼少期~
Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー~リオへロック・シーンが根付く過程で~
Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー~カエターノとの密月~前

Do Amorド・アモール
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 インタビュー中に、メンバーそれぞれが沢山のプロジェクトに関わっている話が出てきますが、マルセロ・カラードと、ヒカルド・ヂアス・ゴメスが参加しているバンドが「Do Amor」。音を聴いてもらえばわかりますが、現在のカエターノ・バンドのサウンドとの類似点も多く、アドリアーナやロス・エルマノスやインペリアル等々、いいアーティストの写真ばかりを撮っている写真家のカロリーナが、特に「Do Amor」を好意にしてもいます。そんなところからも、このバンド「Do Amor」は、今後大きく化ける存在ではないかと思います。
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  1. 2009/01/31(土) 15:37:22|
  2. Pedro Sa(ペドロ・サー)
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Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー~カエターノとの密月~前

 以前に、ペドロ・サーへのインタビューを2回掲載したことがありました。続きがありますと書いておいて、随分放っておいてしまいましたが、今日、明日で続きを掲載します。というのも、中原仁さんがブログで『Zii e Zie』というカエターノの新譜の音源を聞かれたことを書かれていましたが、ラティーナにも音源が届いていて、これがまた素晴らしく良いのです。録音メンバーは前回と一緒で、やはりペドロ・サーが中でも素晴らしい仕事をしています。それで前作『セー』発表時のものですが、ペドロ・サーとカエターノ関係を、ペドロ・サーの口から語っているインタビューの続きの部分を掲載しておきたいなあと、思ったわけでした。

前回の2回
Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー~幼少期~
Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー~リオへロック・シーンが根付く過程で~

(インタビューはBruno Maiaが行ったもの)

BM:どういった経緯があって、あなたとカエターノは、プロとして一緒にやっていくことになったの? しかもアルバムをプロデュースするまでの関係に。カエターノがあなたを選んだのかをどうしてだと考えている?

ペドロ・サー:僕を選んだのは、話し合っていたからだよ。僕は“バンド”の人間で、彼は何らかのバンドをやりたかった。それで僕を呼んで、今僕にバンドが一つ増えた。カエターノとはすごく内容のある音楽作りの話をしているし、彼は一緒に作るのにすごくいい相手だよ。すごく優しくてクリエイティブなんだから。でも実のところ、僕が『Na Pressao』や『O Dia que Faremos Contato』でレニーニと一緒にやっていたのが、カエターノが『ノイチス・ド・ノルチ』を作るときに僕を呼んだ一番の理由だった。『ノイチス・ド・ノルチ』が、僕らの共作関係の最初なんだけどね。

BM:あなたのプロデューサーとしての活動は、カエターノとあなたのプロとしての関係をより深めるための特別なものなのですか、それとも、カエターノの『セー』をプロデュースしたこととは別にあなたキャリアの新たな方向なのですか? あなたは、プロデューサーとしてフビーニョ・ジョコビーナのアルバムをプロデュースしているし、カエターノの曲も以前プロデュースしています。

ペドロ・サー:ええと、僕はそんなに整理して物事を決めていないんだ。プロデュースするのは好きなんだけど、でもちょっと面倒くさがりなんだ。で正確に言うとすると、いつも僕は誰かと一緒にプロデュースしてきた。カシンは、生まれながらのプロデューサーで、シコ・ネヴィスは音楽プロデュースのマエストロだ。1人でアイディアを考えたり、何かプロジェクトについて考えるのは好きなんだけど、遅いし怠け者なんだよ。

BM:マルセロ・カラード(Dr)やヒカルド・ヂアス・ゴメス(B、Key)とバンドを組むことの決め手になったのは何?

ペドロ・サー:彼らが僕の兄弟のジョナス・サーと一緒に演奏するのをずっと見てきた。子供の頃からよく知っているんだ。マルセロが12歳の時に、ボタフォゴに「Mulheres Que Dizem Sim」を見にきていたのを覚えているよ。カエターノや彼らを繋げることができたのはすごくよかった。若い2人はすごくいいよ。

BM:このアルバムで、再びカエターノはバンドのコンセプトでアルバムを作っている。君が言ったように、プロデューサーであることの他に、バンドのミュージシャンの一人でもある。スタジオの中で、この2つの立場はどう違ってくるの? それぞれの限界はどういうところ?

ペドロ・サー:僕は、複数の物事や複数の役割を触媒にして、作品を作っている。もちろんカエターノは、紛れもなく“あの”カエターノで、多くのことをやってきた。でも僕はモレーノをプロデュースに呼んだ。彼は天才で、バンドの外からの視点がなければ、僕は演奏家としてこんなに演奏するのは不可能だったと思う。ダニエル・カルヴァーリョも呼んだ。彼は、「Moca」とすごくいい関係にあって、すごくいいサウンド・センスのエンジニアだ。「Moca」っていうのは、幼稚園の頃の、モレーノのあだ名だよ。

BM:「カエターノがロックのアルバムを作った」って誰もが言っている。『セー』を聞くと確かにそうなんだけれど、音楽的に単純にロックをレファレンスした作品ではない。どういう経緯で、あなた方は、この最終的なサウンドやアレンジに辿りついたのですか?

ペドロ・サー:ロックかロックじゃないかってことは、すごくどうでもいいことだよ。ロックのアルバムじゃないけれど、ロック・バンドのフォーマットでやっていて、最終地点もロックだ。デビッド・バーンが言っていたのは、「おろらく今年最高のインディー・ロック・アルバム」だって。おもしろいよね? このコメントを聞いてすごく嬉しくなった。実際、クリエイティブなものは何でも、分類不可能な魅力を備えている。ロックだってそうだよ。つまりは、僕はロック畑の人でもあり、ギターや何だって弾く。でもそれら全部は相関していることなんだよ。

(明日後編を掲載します。)

*話題に出てきたペドロ・サーの弟のジョナス・サーは、プロ・デビューしていて、音源はMySpaceでも聞けます。
http://www.myspace.com/jonassah

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  1. 2009/01/30(金) 18:30:16|
  2. Pedro Sa(ペドロ・サー)
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Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー~リオへロック・シーンが根付く過程で~

 音楽プロデューサーでギタリストのペドロ・サーのインタビューの第2回です。Bruno Maiaという「sobremusica」というサイトのジャーナリストが行ったものの翻訳です。リオのペドロ・サー/カシン/モレーノの世代の音楽シーンで語り継がれている数バンドの実像が語られています。(このインタビューは不定期での紹介になります)

第1回「~幼少期~」はこちら。

**********************

Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー(Bruno Maiaが行ったもの)

BM:あなたは、「Mulheres Que Dizem Sim」以前に何かバンドを組んでいましたか? もしあるなら、教えてもらえますか?

ペドロ・サー:「Tri」ってバンドを子供の頃にやっていたよ。いとこと組んでいたんだけど、1983年のfestival da Escola Parqueってコンテストでは、「A guerra」って曲で第2位になった。その曲は、僕とダニエル・サーとレオナルド・トレドが一緒に作った曲だよ。

BM:「Mulheres Que Dizem Sim」や「Acabou La Tequila」といったバンドは、短命に終わってしまいましたが、リオの新しい世代の登場を決定づけました。「Mulheres Que Dizem Sim」「Acabou La Tequila」の間に、当時関係はあったんですか?

ペドロ・サー:うん、あったよ。「Goodnight Varsóvia」って、カシンとレオが参加しているバンドがあって、そのバンドに僕とモレーノとマウリシオ・パチェコも参加していた。その他だと、僕は「Acabou La Tequila」のファースト・アルバムで演奏しているし、コンサートも何度もサポートした。

BM:まだこの話題についてだけど、この「Goodnight Varsovia」ってバンドがあったなんてすごい驚きだよ。このバンドはどんなバンドだったの?カシンとあなたはどうやって知り合ったの?

ペドロ・サー:「Goodnight Varsovia」は、嘘っぱちの実験バンドだったんだ。というのも、東ヨーロッパの出身で、ベルリンの壁が崩れた後で生まれたバンドって話を作りだした。そんで、僕らはそれぞれがある人物になりきった。僕[Mike Balloni、メロディックなギターの達人]、カシン[Pete Peters、僕らのかわいいベーシスト、魔力があってラディカルなプロデューサー]、モレーノ[Nino de la Pata、ラテン音楽を愛するパーカッショニスト]、レオ・モンテイロ[Priscila Vanilla、元ポルト男優で超絶ドラマー]、マウリシオ・パチェコ[Rick Friedman、伝説的なヴォーカリストでバンドのカリスマチックなリーダー]。カシンを知ったのは、中学校が終わるときにイパネマのCELでだった。彼はその時「Acabou La Tequila」のメンバーってわけじゃなかった。レオやネルヴォーゾもメンバーじゃなかった。当時のメンバーは、ドニーダと、バカリャウ(後のプラネット・ヘンプのドラマーで、現在はアウトラマスのドラマー)、ヘナチーニョ(今はCanastra)、ジョアン・カラード(当時はキーボードを担当していて、今はテレーザ・クリスチーナと一緒にやっているバンドのグルーポ・セメンチでカバキーニョを弾いている)。僕とマウリシオは、もう「Goodnight Varsóvia」をやろうと考えていた時で、それぞれの偽名まですでに考えていて、他のベーシストとNino(モレーノ)とドラムのドメニコでライヴをやっていた(それぞれが1曲づつ持ち寄って)。でも、ドラマーはRick(マウリシオ・パチェコ)自身だったんだよ。面白いことに、このライヴはAFSって学生の国際的な交換を盛んにやっている学校の学園祭でやって、実際にみんな僕らが東ヨーロッパのバンドだと思ったんだよ。

BM:「Mulheres Que Dizem Sim」の活動期間は、そんなに長くなかった。でも、アカボウ・ラ・テキーラとともに、リオデジャネイロ音楽における新しい世代の雰囲気を決定づけたように思える。あなたもそう思う? リオの音楽シーンを刷新するのにこの2つのバンドはどんな役割を果たしたと思っている? このリストに加えたい他の人はいる?

ペドロ・サー:賛成だね。2バンドとも、僕らの世代を代表した初めてのバンドだったと思う。僕は自分の世代を誇りに思っていて、というのもすごくたくさんの才能ある人がいるから。ブラジルの他の都市も含んで才能のある人がたくさんいて、例えば僕がいつも共作しているヂエゴ・メヂーナはポルト・アレグリ在住だけど、そうだ。バイーア出身で、キト・ヒベイロやルカス・サンターナといった人たちとは、ガヴェアで一緒に住んでいたし、バルトーロやフーベン・ジャコビーナの名前を出さないわけにはいかない。僕にとっては、フーベンは、メヂーナと並んで、僕らの世代で最高の作曲家だと思う。

BM:どうして「Mulheres Que Dizem Sim」は終わってしまったの? 実際、名前はよく聞かれて、多くの人が名前は知っているけれど、でもどんなことをやっていたのか知らない状況はちょっと問題じゃないかな。ちょっとバンドの歴史を教えてもらえる?。

ペドロ・サー:音楽的なことやメンバーがバラバラになったんだ。バンドができてしばらくして、それぞれがやりたいことの関係で大きな不一致があった。でも、僕らの1stアルバムはすごくいい作品だと思う。指摘されて当然な不完全さはあるし、実際そうなんだけど、そこはそこで、誇りに思っているよ。

BM:バンドが終わって……、間違ったところがあったら直してほしいんだけど、あなたは、この延長戦上の自作をやるバンドに参加するには至っていない。プロデュースをしたり、他のアーティストのバンドにサポートとして参加したりしているスタンスっていうのは、何か考えた上でのものなの? それとも自然の成り行きでそうなったの?

ペドロ・サー:えっとね、僕はバイセクシャルな作曲家なんだよ。多くの人が、僕のリーダーアルバムを望んでいる。いつか、何か、を作るとは思うんだよ。でも、こんな風にも言えるとと思うんだ。僕のギタリスト、プロデューサーとしてのコラボレーションの全てにおいて、いつも自分名義である面を持っていると言える。僕はいつだって、プロの音楽家としてあるべき姿よりも、幾分「バンド」のスピリットを持って臨んでいる。事実、僕はプロ中のプロというよりも、愛好家で、すごく責任がある立場でやったりするけど、でも心ではやはり音楽愛好家なんだ。もし、正しく言うなら、僕はやっていることのほとんど全てに、この種の「熱狂」をもってやっているんだ。

BM:僕は今「君の世代」について話題にしてきたけど、でも、君がそれについて何らかの定義づけをしているのかまだ訊いていないんだけど……。

ペドロ・サー:世代があるのは分かるけれど、どう言葉で定義していいのかわからない。君が僕のために定義してくれたっていいよ。

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Pedro Sa(ペドロ・サー) ブラジル新世代随一のテクニックをもった超絶ギタリストで、現在は音楽プロデューサーとしても活躍している。2000年にレニーニのバンドのギタリストとして、05年にはカエターノのバンドのギタリストとして、06年には「+2」プロジェクトの一員として来日公演も行っている。オルケストラ・インペリアルのメンバーであり、現在はカエターノのバンドのギタリストとして、世界各地を飛び回っている。

次回、「ペドロ・サーへのインタビュー~カエターノとの密月~」へ続きます。

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  1. 2008/02/02(土) 13:58:10|
  2. Pedro Sa(ペドロ・サー)
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Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー~幼少期~

 これから数回にわたり、音楽プロデューサーでギタリストのペドロ・サーのインタビューを紹介しています。Bruno Maiaという「sobremusica」というサイトのジャーナリストが行ったものです。まずは、幼少期の音楽環境について。現在はカエターノのバンドのバンド・マスターの立場のペドロですが、幼少の頃からこんな風な繋がりがあったんだ、という興味深いエピソードが。(このインタビューは不定期での紹介になります)

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Bruno Maia(以下BM):あなたは代々音楽に関係してきた家系の出身です。あなたも音楽を始めるのに、両親はどんな道具を用意していたの?

ペドロ・サー:これはいい質問だね。おもしろい事情を話すことになるから。僕が子供だった頃、父は望んで家にステレオ・システムを置いていなかった。それは僕が楽器をはじめる10歳の時まで続いたんだ。でも、僕の周りにはいつも音楽があった。まず父が、毎日毎日作曲していて、僕は彼が居間で演奏する音を聞いて毎朝目覚めていた。父は、「ヂアーロゴ・ダ・テーハ」というラジオ番組をプロデュースしていて、その番組はブラジルの田舎の方全土に放送されていて、田舎でどんな風に生きたらいいのかを提案するような番組だった。毎回テーマを決めた音楽コーナーもあった。僕は、好きだったからスタジオで録音するのにいつもついていった。そこには、ギタリスト、ベーシスト、パカッショニストとかたくさんのミュージシャンがいて、見るに美しかったよ。でも、ぼくは音楽家になりたいとは思っていなかった。絵を描いたり、文章を書いたりする方が好きだったんだ。父にギターのレッスンに初めて連れていかれるまではね…1回目の授業から僕はギターと音楽に夢中になって音楽をうっていきたいと思うようになったんだ。

BM:幼い頃から、モレーノ・ヴェローゾとあなたはすごく親しい仲です。彼の家族との関係が、子供の頃のあなたに音楽的な影響を与えたということはある? それとも単なる友人の家族だったっていうだけ?

ペドロ・サー:思い出すことがあって、8歳の時、はじめてモレーノの家へ泊まりに行ったんだ。クラスメートの家ってことでね。僕は真夜中に目覚めてしまって(子供の頃、眠るのにすごく沢山の問題を抱えていたんだ)、水を飲みに行った。台所に着くまでに、カエターノが1人でギターを弾いて歌っていた。
「おおペドロ。起きていたんだね。ちょっとこっちに来ないか」ってカエターノに呼ばれた。すごく美しいことだと感じたんだ。誰かが真夜中に起きて何かをしているってことがね。私はとてもカエターノと近しい感情を抱いて、彼が歌うのをそこにいて聞き、眠れないことについて、すこし話した。その後、僕が楽器を演奏するようになってからは、モレーノの家に行ってレコードを聞くのがすごく好きだった。だって何だってあったんだからね。明らかだよ、音楽を聞いたり、音楽について考えるのに、(モレーノの家族からの)影響があったのは。友人の家族以上のものだったよ。

BM:子供の頃、どんな音楽を聞いていたの?

ペドロ・サー:ジミ・ヘンドリクス、レッド・ツェッペリン、ジョアン・ジルベルト、ガル・コスタの『カンタール』。

次回、「ペドロ・サーへのインタビュー~リオへロック・シーンが根付く過程で~」へ続きます。

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Pedro Sa(ペドロ・サー) ブラジル新世代随一のテクニックをもった超絶ギタリストで、現在は音楽プロデューサーとしても活躍している。2000年にレニーニのバンドのギタリストとして、05年にはカエターノのバンドのギタリストとして、06年には「+2」プロジェクトの一員として来日公演も行っている。オルケストラ・インペリアルのメンバーであり、現在はカエターノのバンドのギタリストとして、世界各地を飛び回っている。

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  1. 2008/01/24(木) 16:24:15|
  2. Pedro Sa(ペドロ・サー)
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