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Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー〜リオへロック・シーンが根付く過程で〜

 音楽プロデューサーでギタリストのペドロ・サーのインタビューの第2回です。Bruno Maiaという「sobremusica」というサイトのジャーナリストが行ったものの翻訳です。リオのペドロ・サー/カシン/モレーノの世代の音楽シーンで語り継がれている数バンドの実像が語られています。(このインタビューは不定期での紹介になります)

第1回「〜幼少期〜」はこちら。

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Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー(Bruno Maiaが行ったもの)

BM:あなたは、「Mulheres Que Dizem Sim」以前に何かバンドを組んでいましたか? もしあるなら、教えてもらえますか?

ペドロ・サー:「Tri」ってバンドを子供の頃にやっていたよ。いとこと組んでいたんだけど、1983年のfestival da Escola Parqueってコンテストでは、「A guerra」って曲で第2位になった。その曲は、僕とダニエル・サーとレオナルド・トレドが一緒に作った曲だよ。

BM:「Mulheres Que Dizem Sim」や「Acabou La Tequila」といったバンドは、短命に終わってしまいましたが、リオの新しい世代の登場を決定づけました。「Mulheres Que Dizem Sim」「Acabou La Tequila」の間に、当時関係はあったんですか?

ペドロ・サー:うん、あったよ。「Goodnight Varsóvia」って、カシンとレオが参加しているバンドがあって、そのバンドに僕とモレーノとマウリシオ・パチェコも参加していた。その他だと、僕は「Acabou La Tequila」のファースト・アルバムで演奏しているし、コンサートも何度もサポートした。

BM:まだこの話題についてだけど、この「Goodnight Varsovia」ってバンドがあったなんてすごい驚きだよ。このバンドはどんなバンドだったの?カシンとあなたはどうやって知り合ったの?

ペドロ・サー:「Goodnight Varsovia」は、嘘っぱちの実験バンドだったんだ。というのも、東ヨーロッパの出身で、ベルリンの壁が崩れた後で生まれたバンドって話を作りだした。そんで、僕らはそれぞれがある人物になりきった。僕[Mike Balloni、メロディックなギターの達人]、カシン[Pete Peters、僕らのかわいいベーシスト、魔力があってラディカルなプロデューサー]、モレーノ[Nino de la Pata、ラテン音楽を愛するパーカッショニスト]、レオ・モンテイロ[Priscila Vanilla、元ポルト男優で超絶ドラマー]、マウリシオ・パチェコ[Rick Friedman、伝説的なヴォーカリストでバンドのカリスマチックなリーダー]。カシンを知ったのは、中学校が終わるときにイパネマのCELでだった。彼はその時「Acabou La Tequila」のメンバーってわけじゃなかった。レオやネルヴォーゾもメンバーじゃなかった。当時のメンバーは、ドニーダと、バカリャウ(後のプラネット・ヘンプのドラマーで、現在はアウトラマスのドラマー)、ヘナチーニョ(今はCanastra)、ジョアン・カラード(当時はキーボードを担当していて、今はテレーザ・クリスチーナと一緒にやっているバンドのグルーポ・セメンチでカバキーニョを弾いている)。僕とマウリシオは、もう「Goodnight Varsóvia」をやろうと考えていた時で、それぞれの偽名まですでに考えていて、他のベーシストとNino(モレーノ)とドラムのドメニコでライヴをやっていた(それぞれが1曲づつ持ち寄って)。でも、ドラマーはRick(マウリシオ・パチェコ)自身だったんだよ。面白いことに、このライヴはAFSって学生の国際的な交換を盛んにやっている学校の学園祭でやって、実際にみんな僕らが東ヨーロッパのバンドだと思ったんだよ。

BM:「Mulheres Que Dizem Sim」の活動期間は、そんなに長くなかった。でも、アカボウ・ラ・テキーラとともに、リオデジャネイロ音楽における新しい世代の雰囲気を決定づけたように思える。あなたもそう思う? リオの音楽シーンを刷新するのにこの2つのバンドはどんな役割を果たしたと思っている? このリストに加えたい他の人はいる?

ペドロ・サー:賛成だね。2バンドとも、僕らの世代を代表した初めてのバンドだったと思う。僕は自分の世代を誇りに思っていて、というのもすごくたくさんの才能ある人がいるから。ブラジルの他の都市も含んで才能のある人がたくさんいて、例えば僕がいつも共作しているヂエゴ・メヂーナはポルト・アレグリ在住だけど、そうだ。バイーア出身で、キト・ヒベイロやルカス・サンターナといった人たちとは、ガヴェアで一緒に住んでいたし、バルトーロやフーベン・ジャコビーナの名前を出さないわけにはいかない。僕にとっては、フーベンは、メヂーナと並んで、僕らの世代で最高の作曲家だと思う。

BM:どうして「Mulheres Que Dizem Sim」は終わってしまったの? 実際、名前はよく聞かれて、多くの人が名前は知っているけれど、でもどんなことをやっていたのか知らない状況はちょっと問題じゃないかな。ちょっとバンドの歴史を教えてもらえる?。

ペドロ・サー:音楽的なことやメンバーがバラバラになったんだ。バンドができてしばらくして、それぞれがやりたいことの関係で大きな不一致があった。でも、僕らの1stアルバムはすごくいい作品だと思う。指摘されて当然な不完全さはあるし、実際そうなんだけど、そこはそこで、誇りに思っているよ。

BM:バンドが終わって……、間違ったところがあったら直してほしいんだけど、あなたは、この延長戦上の自作をやるバンドに参加するには至っていない。プロデュースをしたり、他のアーティストのバンドにサポートとして参加したりしているスタンスっていうのは、何か考えた上でのものなの? それとも自然の成り行きでそうなったの?

ペドロ・サー:えっとね、僕はバイセクシャルな作曲家なんだよ。多くの人が、僕のリーダーアルバムを望んでいる。いつか、何か、を作るとは思うんだよ。でも、こんな風にも言えるとと思うんだ。僕のギタリスト、プロデューサーとしてのコラボレーションの全てにおいて、いつも自分名義である面を持っていると言える。僕はいつだって、プロの音楽家としてあるべき姿よりも、幾分「バンド」のスピリットを持って臨んでいる。事実、僕はプロ中のプロというよりも、愛好家で、すごく責任がある立場でやったりするけど、でも心ではやはり音楽愛好家なんだ。もし、正しく言うなら、僕はやっていることのほとんど全てに、この種の「熱狂」をもってやっているんだ。

BM:僕は今「君の世代」について話題にしてきたけど、でも、君がそれについて何らかの定義づけをしているのかまだ訊いていないんだけど……。

ペドロ・サー:世代があるのは分かるけれど、どう言葉で定義していいのかわからない。君が僕のために定義してくれたっていいよ。

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Pedro Sa(ペドロ・サー) ブラジル新世代随一のテクニックをもった超絶ギタリストで、現在は音楽プロデューサーとしても活躍している。2000年にレニーニのバンドのギタリストとして、05年にはカエターノのバンドのギタリストとして、06年には「+2」プロジェクトの一員として来日公演も行っている。オルケストラ・インペリアルのメンバーであり、現在はカエターノのバンドのギタリストとして、世界各地を飛び回っている。

次回、「ペドロ・サーへのインタビュー〜カエターノとの密月〜」へ続きます。

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  1. 2008/02/02(土) 13:58:10|
  2. Pedro Sa(ペドロ・サー)
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Pedro Saペドロ・サーへのインタビュー〜幼少期〜

 これから数回にわたり、音楽プロデューサーでギタリストのペドロ・サーのインタビューを紹介しています。Bruno Maiaという「sobremusica」というサイトのジャーナリストが行ったものです。まずは、幼少期の音楽環境について。現在はカエターノのバンドのバンド・マスターの立場のペドロですが、幼少の頃からこんな風な繋がりがあったんだ、という興味深いエピソードが。(このインタビューは不定期での紹介になります)

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Bruno Maia(以下BM):あなたは代々音楽に関係してきた家系の出身です。あなたも音楽を始めるのに、両親はどんな道具を用意していたの?

ペドロ・サー:これはいい質問だね。おもしろい事情を話すことになるから。僕が子供だった頃、父は望んで家にステレオ・システムを置いていなかった。それは僕が楽器をはじめる10歳の時まで続いたんだ。でも、僕の周りにはいつも音楽があった。まず父が、毎日毎日作曲していて、僕は彼が居間で演奏する音を聞いて毎朝目覚めていた。父は、「ヂアーロゴ・ダ・テーハ」というラジオ番組をプロデュースしていて、その番組はブラジルの田舎の方全土に放送されていて、田舎でどんな風に生きたらいいのかを提案するような番組だった。毎回テーマを決めた音楽コーナーもあった。僕は、好きだったからスタジオで録音するのにいつもついていった。そこには、ギタリスト、ベーシスト、パカッショニストとかたくさんのミュージシャンがいて、見るに美しかったよ。でも、ぼくは音楽家になりたいとは思っていなかった。絵を描いたり、文章を書いたりする方が好きだったんだ。父にギターのレッスンに初めて連れていかれるまではね…1回目の授業から僕はギターと音楽に夢中になって音楽をうっていきたいと思うようになったんだ。

BM:幼い頃から、モレーノ・ヴェローゾとあなたはすごく親しい仲です。彼の家族との関係が、子供の頃のあなたに音楽的な影響を与えたということはある? それとも単なる友人の家族だったっていうだけ?

ペドロ・サー:思い出すことがあって、8歳の時、はじめてモレーノの家へ泊まりに行ったんだ。クラスメートの家ってことでね。僕は真夜中に目覚めてしまって(子供の頃、眠るのにすごく沢山の問題を抱えていたんだ)、水を飲みに行った。台所に着くまでに、カエターノが1人でギターを弾いて歌っていた。
「おおペドロ。起きていたんだね。ちょっとこっちに来ないか」ってカエターノに呼ばれた。すごく美しいことだと感じたんだ。誰かが真夜中に起きて何かをしているってことがね。私はとてもカエターノと近しい感情を抱いて、彼が歌うのをそこにいて聞き、眠れないことについて、すこし話した。その後、僕が楽器を演奏するようになってからは、モレーノの家に行ってレコードを聞くのがすごく好きだった。だって何だってあったんだからね。明らかだよ、音楽を聞いたり、音楽について考えるのに、(モレーノの家族からの)影響があったのは。友人の家族以上のものだったよ。

BM:子供の頃、どんな音楽を聞いていたの?

ペドロ・サー:ジミ・ヘンドリクス、レッド・ツェッペリン、ジョアン・ジルベルト、ガル・コスタの『カンタール』。

次回、「ペドロ・サーへのインタビュー〜リオへロック・シーンが根付く過程で〜」へ続きます。

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Pedro Sa(ペドロ・サー) ブラジル新世代随一のテクニックをもった超絶ギタリストで、現在は音楽プロデューサーとしても活躍している。2000年にレニーニのバンドのギタリストとして、05年にはカエターノのバンドのギタリストとして、06年には「+2」プロジェクトの一員として来日公演も行っている。オルケストラ・インペリアルのメンバーであり、現在はカエターノのバンドのギタリストとして、世界各地を飛び回っている。

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  1. 2008/01/24(木) 16:24:15|
  2. Pedro Sa(ペドロ・サー)
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