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Bruno Maia(以下BM):あなたは代々音楽に関係してきた家系の出身です。あなたも音楽を始めるのに、両親はどんな道具を用意していたの?
ペドロ・サー:これはいい質問だね。おもしろい事情を話すことになるから。僕が子供だった頃、父は望んで家にステレオ・システムを置いていなかった。それは僕が楽器をはじめる10歳の時まで続いたんだ。でも、僕の周りにはいつも音楽があった。まず父が、毎日毎日作曲していて、僕は彼が居間で演奏する音を聞いて毎朝目覚めていた。父は、「ヂアーロゴ・ダ・テーハ」というラジオ番組をプロデュースしていて、その番組はブラジルの田舎の方全土に放送されていて、田舎でどんな風に生きたらいいのかを提案するような番組だった。毎回テーマを決めた音楽コーナーもあった。僕は、好きだったからスタジオで録音するのにいつもついていった。そこには、ギタリスト、ベーシスト、パカッショニストとかたくさんのミュージシャンがいて、見るに美しかったよ。でも、ぼくは音楽家になりたいとは思っていなかった。絵を描いたり、文章を書いたりする方が好きだったんだ。父にギターのレッスンに初めて連れていかれるまではね…1回目の授業から僕はギターと音楽に夢中になって音楽をうっていきたいと思うようになったんだ。
BM:幼い頃から、モレーノ・ヴェローゾとあなたはすごく親しい仲です。彼の家族との関係が、子供の頃のあなたに音楽的な影響を与えたということはある? それとも単なる友人の家族だったっていうだけ?
ペドロ・サー:思い出すことがあって、8歳の時、はじめてモレーノの家へ泊まりに行ったんだ。クラスメートの家ってことでね。僕は真夜中に目覚めてしまって(子供の頃、眠るのにすごく沢山の問題を抱えていたんだ)、水を飲みに行った。台所に着くまでに、カエターノが1人でギターを弾いて歌っていた。
「おおペドロ。起きていたんだね。ちょっとこっちに来ないか」ってカエターノに呼ばれた。すごく美しいことだと感じたんだ。誰かが真夜中に起きて何かをしているってことがね。私はとてもカエターノと近しい感情を抱いて、彼が歌うのをそこにいて聞き、眠れないことについて、すこし話した。その後、僕が楽器を演奏するようになってからは、モレーノの家に行ってレコードを聞くのがすごく好きだった。だって何だってあったんだからね。明らかだよ、音楽を聞いたり、音楽について考えるのに、(モレーノの家族からの)影響があったのは。友人の家族以上のものだったよ。
BM:子供の頃、どんな音楽を聞いていたの?
ペドロ・サー:ジミ・ヘンドリクス、レッド・ツェッペリン、ジョアン・ジルベルト、ガル・コスタの『カンタール』。
次回、「ペドロ・サーへのインタビュー~リオへロック・シーンが根付く過程で~」へ続きます。

Pedro Sa(ペドロ・サー) ブラジル新世代随一のテクニックをもった超絶ギタリストで、現在は音楽プロデューサーとしても活躍している。2000年にレニーニのバンドのギタリストとして、05年にはカエターノのバンドのギタリストとして、06年には「+2」プロジェクトの一員として来日公演も行っている。オルケストラ・インペリアルのメンバーであり、現在はカエターノのバンドのギタリストとして、世界各地を飛び回っている。
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