
新世代のフォーク・ミュージック・ムーヴメントであるフリー(ク)・フォークの旗手として活躍する米ヒューストン生まれのシンガー・ソングライターのデヴェンドラ・バンハート。TIMフェスティバル出演のために滞在中のリオで、念願かなってカエターノ・ヴェローゾと初めて会うことが出来た。デヴェンドラ・バンハートは、数多くのインタビューで一番のフェバリット・アーティストはカエターノ・ヴェローゾであると発言してきていた。以下のインタビューで、カエターノ・ヴェローゾとデヴェンドラ・バンハートは、トロピカリズモや映画の話から、パンク・ミュージックの話まで、会話に花を咲かせている。(フォーリャ・ヂ・サンパウロより)
カエターノ・ヴェローゾ「私たち(ブラジルのアーティスト)は、アメリカの文化の影響を受けてきて、外国のミュージシャンたちもブラジルの音楽から影響受けることもあったね。私は直接的に影響を受けたよ。おそらくエラズモ・カルロスはアメリカのロックを聞いていたと思う。私も50年代のアメリカのロックを聞いてはいたけれども、そんなに注意して聞いてはいなかった。60年代の、ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ミック・ジャガー、ザ・フーなんかのイギリスの人たちがアメリカのロックを真似し始めた頃、私はロックに影響を受けるようになった。同時に、ブラジル人によるアメリカのロックの真似もとても増え、ポピュラーになっていった。ロベルト・カルロスや彼の周辺のミュージシャンたちのことだ。どちらかというと、英語によるロックの影響よりも、ブラジル人でロックをやっていた人たちからの影響の方が、僕にとって重要だったよ」
デヴェンドラ・バンハート「おもしろいことに、ブラジル人はロックンロールのことを“イエ・イエ・イエ”と呼んでいたんだよね。(その呼び方は)何かを受け入れていることがわかるし、同時にユーモアもある」
カエターノ・ヴェローゾ「当時、ロックンロールは激しくブラジル中を駆け抜けていた。ロベルト・カルロス、或るいはビートルズのことを、ロックとは呼ばなかったんだ。新しいものとして、イエ・イエ・イエと呼んでいたんだ。ロックは、イエ・イエ・イエよりもっと新しいものをそう呼んだ。ビートルズの映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』のことを、ブラジルでは『イエ・イエ・イエの王様Os Reis do Ie Ie Ie』と呼んでいたんだ。時々こんなに下手に訳してしまうんだ……。映画『カズロCasulo(“繭”の意)』はとても素晴らしい題名だね。映画『コクーンCocoon』はブラジルでは、『カズロ』と呼んでいるんだ」
デヴェンドラ・バンハート「面白いね。ブラジルでは『コクーン』が公開されたばかりなんだ。ちょっとだけ遅れて……(『コクーン』は1985年のアメリカ映画) 私にとって、たくさんの人にブラジルを知らしめた映画は『トゥドゥ・ベンTudo Bem(1978年)(アルナルド・ジャボールArnaldo Jabor監督)』だ。ブラジルの考え方を他の国の人に伝えた。サントラも美しいね」
カエターノ・ヴェローゾ「このサントラの曲は全てファンタスティックだ。映画はそんなにいいとは思わない。ブラジル人はこの映画が好きじゃないんだ」
[後編]へ続く
カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)
http://www.caetanoveloso.com.br/ce.html
デヴェンドラ・バンハート(Devendra Banhart)
http://www.cripplecrow.com/
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
最新海外ニュース http://www.latina.co.jp/index.html
◆マドレデウス、日本でのコンサートが休止前最後のコンサート(11/9,ポルトガル)
◆メキシコの往年の人気歌手ミゲル・アセベス・メヒア氏、死去!(11/9,メキシコ)
◆文化功労賞授与式で涙を流すジル。そして会場中から「続けてくれ!」の声……(11/9,ブラジル)
最新国内ニュース http://www.latina.co.jp/index.html
◆本誌執筆者・伊高氏が語る、ベネズエラ情勢についての入場無料講演会(11/8)
◆初代世界タンゴダンス・チャンピオン、ジセラ&ガスパルのワークショップ開催!(11/8)
スポンサーサイト