「ブラジリアン・ミュージック」(音楽之友社、中原仁編)では国安真奈さんが、「ブラジリアン・ミュージック2001」(音楽之友社、中原仁編)では中原仁さんがジョーヴェン・グアルダを解説しています。

1960年中盤、ビートルズやローリング・ストーンズの海外のロックや、ブラジルのロックのパイオニアのセリー・カンペーロの影響を受け、ロックを演奏する若い音楽家が登場してきました。彼らは、はじめ「イェ・イェ・イェ」と呼ばれていました。ロマンチックで日常的な歌詞の歌謡ロックに特徴があった。
「イェ・イェ・イェ」という名前は、1964年にビートルズの映画「A Hard Day's Night」が公開された際に「Os Reis do ie-ie-ie(eにアクセント)(イェ・イェ・イェのキングたち)」という名前で公開されたことに由来する、とのこと。
でも、その名前よりも同ジャンルの音楽家が出演したテレビ番組「ジョーヴェン・グアルダ」(1965~1968)の印象が強く、現在までムーヴメントの名前として「ジョーヴェン・グアルダ」という名前が残っています。
「ジョーヴェン・グアルダ」を直訳すると、「若者のガードマン」。意味がよくわかりません。この番組名自体がどこからきたのかというと、『未来はJovem Guardaの手にかかっている」という発言から引用されたとされています。若者という意味のJovemだけでいいような気がしますが、エスコーラ・ヂ・サンバの長老たちを「ヴェーリャ・グアルダVelha Guarda」(Velhaは年老いた、の意)と呼ぶのを前提とした言い回しです。
ムーヴメントの中心となったのは、ホベルト・カルロスとエラズモ・カルロスの共作コンビに、女性歌手のヴァンデルレア。(ヴァンデルレアが昨年リリースしたニューアルバム『ノヴァ・エスタサゥン』が良作であったことは特記しておきます)
同番組の大ヒットで、同様の内容の番組が他局でも乱立しました。しかし、番組「ジョーヴェン・グアルダ」は68年に終了し、その時をもってムーヴメントの終了とみなすのが一般的です。70年代中盤まで続いたとする解釈もあります。
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