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アドリアーナ・カルカニョット 来日直前インタビュー(後編)

アドリアーナ・カルカニョット 来日直前インタビュー(前編)より続き...
(文:花田勝暁)

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foto por Catarina Henrique

◆サンバのアルバム・自作曲だけのアルバム
──どの瞬間に、あなたは自分の曲がサンバだと気付きましたか?
 約4年の間、私が作ったものの全てがサンバだった。例えばノヴェーラの歌の注文があって、依頼内容を考慮して作っても、サンバしか生まれてこなかった。「マイス・ペルフマード(わざとらしい香水)」は、タイス・グリンに依頼されて作ったのだけど、彼女はサンバを求めていなかったので、私が自分で録音することになったわ。
──サンバのCDを作ろうという考えを持ったことはなかったのですか?
 頭に浮かんだことはなかったわ。このアルバムの収録曲の中で一番はじめに出来たのは、マルチナーリアから依頼がきた「ヴァイ・サベール?(誰が知ってる?)」だった。後でマリーザ・モンチが録音した曲ね。マルチナーリアが依頼してくれた時、実際は、サンバを求めていなかった。彼女は、「アルバムを録音しているんだけど、何かある?」と言っていて、サンバという言葉は使わなかった。それで、結局、マルチナーリアはサンバのアルバムを作っていなかったから、録音しなかったのよ。
──あなたは、単に作りたかったから、サンバを作ったのですか?
 そう。依頼は、私の言い訳になっていた。サンバを作ることへの言い訳。その後、マリーザのために「ベイジョ・セン(いなくてもキス)」を作った。それはテレーザ・クリスチーナも録音したわ。でもいつも、各曲が別々にあった。アルバムを作ろうという考えは全然なかった。あなたがもし私に「サンバのアルバムを作るつもりなの」と訊いてきたら、私は「作らないわよ。誰もサンバのアルバムをもう必要としていないから」と答えていたと思うわ。
──アルバムは、あなたが作った曲で占められています。過去のアルバムでは、他人の曲も多く取り上げていたので、これは初めてのことです。
 ダヂが作った「ヴェン・ヴェール(見にきて)」のメロディーを除いて全ての曲を作曲したわ。私の過去のアルバムの、私の曲は、ストーリーやコンセプトや収録曲のパズルの中で、重要な一部分を成していた。私の曲がアルバム一枚になるのに十分になるなんて思ったことはなかった。私はいつも他の作家が作った曲が必要だった。
──以前のインタビューで、あなたは、悲しい時に作曲し、あまり沢山は作曲できないと言っていました。何か変化があったのですか?
 思うに、時間とともに、作曲するのが好きになってきた。慣れもあるし、他の歌手からのたくさんのレコメンドを受けはじめ、いくつかの作曲の賞をもらったり、そんな全てが私を変えたのだと思う。曲を作るのが、段々と好きになっているのよ。
──あなたの曲は、とても詩的にも豊かです。言葉を詩的でメロディックなものにするための秘訣は何ですか?
 秘訣はないわ。取り組むだけ。作品の魅力は本物だけれど、そうであっても作った作品。誠実に作品に取り組まなければいけないし、たくさん読まなければならないし、たくさん聴かなければいけない。つまりは、あるテキストの音楽的感覚と詩的感覚を受け取るために感覚を研ぎ澄ますの。
──いつアルバムを録音するアイディアが現れたのですか?
 私は作品の著作権管理会社を移していて、私の作品を整理していた。舞踊のために作った曲のファイルだとか、映画のために作った曲のファイルとかって具合に。そこで「サンバのファイルを作ろう」って思ったのよ。それで、そのサンバ全部を録音し直すことに決めた。それぞれが当時のデモテープの状態で残っている代わりに、それら全てを録音することに決めたの。そうしているうちに、アルバムを作らないわけにはいかなくなったの。
──その録音の際になって、アルバムにする考えが生まれたのですか?
 そうよ。私には、それぞれに関係がないサンバの記録が、記録でなくて、まさにアルバムのように思えた。アルバムの中で、収録曲が、それぞれに会話している。そうしていたら、偶然ルピシーニオ・ホドリゲスの言葉を見つけた。私のサンバとの関係を完全に言い表した言葉よ。この言葉を見つけた時、この言葉はアルバムの全アイデアを表現していた。そこで、私は一つのアルバムであることがわかった。大きな驚きだったわ。アルバムの誕生について私が言えるのは、「ヴァイ・サベール」ではじまって「デイシャ・ゲイシャ」で終わった。「デイシャ・ゲイシャ」は、去年の10月2日にオスロで作ったの。そこで、アルバムの作曲の段階が終わった。その後、サンバだけでなく、何も作曲していない。私にとって、アルバムの内容がはっきりしたから。

◆サンバの微生物
 ルピシーニオ・ホドリゲスの言葉とは、アルバムのブックレットにも添えられたこの言葉だ。改めて引用する。

 ルピシーニオ・ホドリゲスは、コレジオ・サンセバスチャンを在籍一週間で放校になった。
「除籍理由:教室でずっと太鼓を叩き、誰にも分からない歌を歌っている」
「つまりは、まだ幼かった頃から、私はサンバの微生物を血管の中で養ってきたということだ。この微生物は宿主とともに成長し、宿主を解放してくれそうにない。私が老いれば老いるほど、ますます私にしがみついてくる」

──リオに住んで長いですが、どうしてルピシーニオの言葉を引用したのですか? あなたはルピシーニオに自分と似たアイデンティティを感じているのですか?
 『サンバの微生物』の場合、自分と似ていると思った。誰も理解できない歌を授業中に演奏して小学校を追い出されたと言っていた部分でね。つまり、それは当たり障りのないサンバでも、流暢なサンバでも、歌唱可能なサンバでもなかった。それは誰も理解できないものだった。つまり、すでに自分の中を廻る血液から出てきたものだった。作曲の開始と言えるわね。私にとってのサンバとはまさにそういうもの。イノベーションなの。
──あなたの父親はジャズやボサノヴァのドラマーで、母親はバレリーナでした。それは子供時代にあなたのアーティストとして傾向が花開くのに影響しましたか?
 彼らがアーティストであったという単なる事実でなく、私たちのアーティスト感覚を磨いてくことになった、私や私の弟へいつも与えてくれた支援によってね。父が音楽について教えてくれたり、母が劇を説明してくれたのを覚えている。問題は内面にあることがわかって、それは確かに私に影響した。
──多くの歌手によって、サンバとボサノヴァの境界が曖昧になっている今日において、サンバのCDであると考えられるために何が必要ですか?
 視点によると思うわ。保守的な人たちはこんな風に思わないと思うし、繰り返しになるけど、私にとっては、サンバとはイノベーションで、感染することであり、滲み出るものなの。
──いつからあなたは“サンバの微生物”に感染しているのですか?
 生まれた時から。音楽が溢れる家で育って、あらゆる音楽を聴くことができた。でも、いつもサンバに魅かれていた。私が作った全ての曲は、そのDNAにおいてサンバを持っている。

◆過去と現在、男性と女性の役割の交換
──『サンバの微生物』において、ヴェーリャ・グアルダのマランドロのサンバと、ジョアン・ジルベルトのボサノヴァに影響を受けた現代を生きる女性の叙情的な一人称の間の役割の逆転が光っています。
 これらの曲は以前は不可能だった。というのも、世界が以前はこんな風じゃなかったから。以前〝サンバの微生物〟を持っているのは、男性だった。もし女性が持っていたとしても、仕事がなかった。
──この新しいアルバムで、最も強い現在進行形の影響は何ですか?
 ジョアン・ジルベルト、特に彼の発明したギターの奏法において。それからネルソン・カヴァキーニョ、イズマエル(・シルヴァ)、ノエル(・ホーザ)、ルピシーニオ(・ホドリゲス)。それだけじゃなく、今日の世界から影響がある。特に、働いてかつ夫や息子の世話をしている女性たちから。彼女たちは現代の真のヒロインよ。

◆日本のファンへのメッセージ
 日本に戻ることがとてもとても嬉しいと言わせて下さい。今回は少し時間がかかってしまいましたが。みなさんに見にきて欲しいと思います。というのも、日本人は『サンバの微生物』が示そうとしていることを、とても深く理解してくれるのではと思うので。
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  1. 2011/10/19(水) 11:01:30|
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